2021年2月号 自分の意志で自由に選ぶ
自分の意志で自由に選ぶ
服を買いに言った時、「自分で好きなものを選んでいますか?」と聞くと皆「もちろん、自分で好きな服を選んでますよ」とおっしゃるでしょう?
でもいつも、本当に自由に選べているでしょうか?
「流行だから」、「彼が気に入ってくれるかな?」「派手過ぎて変だとおもわれないかな?」「素敵に見えるかな?」などと気にして選んでいるとしたら、本当に自分の意志で自由に選択したのでしょうか?
流行のファッションは自分の感性で選んだのか、誰かさんや世間に左右されて選んでいるのか、どうなのでしょう。
洋服選びだけなら、人生に大きな影響はないでしょうが、進学や就職や仕事などを選ぶとき、世間体や人目を気にして選んだとしたら、また厳しいようですが、お金のために仕事をえらんでいるとしたら、それは自分の人生を自分の足で歩いている、自由に生きているといえるのでしょうか?
「楽しく生きる」ってどういうことでしょう?
信念が人生を決める
そして人生で一番大切な選択は、誰を何を信じるのか、どんな信念を持って生きていくのかということですね。
「みんなが○○といってるからそうなんだ」
「皆が右に行くから、右にいくべきなんだな」
「誰それが反対する、間違いだというから信じるのをやめる」
誰か(世間で権威がある人、等)と、誰かに左右された人生では、本物の楽しさを味わいきれず、幸せにはなれません。
子供が失敗から学ぶ自由を奪わない
大方の親は子供が失敗して、転ぶのをみたくないので、躾と称して子供に「こうするべき、これがただしい」等々と指導しつづけます。
子供の「失敗から学ぶ権利」を奪っているのです。
自分の意志は発揮できず、親のいう通りの人生を歩いて幸せになった人はこの世に一人もいない、これは真実です。
もし親の言う通りの人生を生きて幸せになった人がいるとしたら、実は自立していて、いろんな生き方の中から自分の意志で親の示した生き方を検討し選んだのです。
「ありがとうございます」だけを選べているか
「ありがとうございます」の言霊、感謝行の実践を、「みんながやっているから」「誰かに教わったから」「これなら簡単で無料だし自分にも出来そうだから」「とりあえずやってみよう」「やってみたら効果があったから」等々という理由で実践しているとしたらそれは自分で選べているとはいえません。
実際「ありがとうございます」を完全に自立して自由に選べている人は、本当にごくごく少数です。
「ありがとうございます」だけを選び実践できた時、誰かに大反対されてそれでも選べた時、最高最大の無限力に支えられ守られて、永遠の幸せの中に暮らせ、周りの多くの縁者をも幸せ一杯に出来るのです。