2020年9月号 「霊主体従」の幸せを生きる

「霊主体従」の幸せを生きる

「霊」とは本当の自分、本心の自分、つまり神なる自分のことです。そして「体」とは肉体人間としての自分で、感情があり色々な思いがあり、考えや価値観も存在し、判断する自分でもあって、潜在意識が牛耳っている自分です。「霊主体従」の生き方になった時にのみ、真実の幸せ、無条件の幸せがやに暮らせるのです。

 

正しい生き方、良い考えで、本当の幸せはやってこない

考えることは大事だし、正しく良い考えに従ってより良い価値観を持ち、正しく判断してゆくことで幸せに暮らせるはず、と思いがちです。

しかし、正しい考えで良い判断を下して人生を選んでいるプラス思考の人は、みんな安らぎと喜びのある幸せな人生を送っているのでしょうか?病気になったり事故に会ったり、又ストレスをためて疲れていたりしていないのでしょうか?

自己本位な生き方の人がマイナスの人生を送るのは当然としても、高い人格の立派な生き方の人の辛い人生模様を知った時に沸き起こる「なぜ?」への答えが見つからず悶々とした経験があるのではないでしょうか。

人として、肉体人間として立派であっても、本当の幸せ、永遠の幸せの中に生きているとは限らないのです。

 

無法地帯のごとく荒れ果てた地球人類

現代の文化に従って生きると、「霊」は隠れてしまって出てこれないで、「体」が我がもの顔でのさばっている状態で、例えていうと「霊」というご主人の留守に、わがままな家来の「体」が好き放題をして、お屋敷が無茶苦茶になっている無法地帯のような状態です。

 

「霊」の世界(次元)には本物の幸せを生きるための絶対法則である「真理」が存在するのに、真理を無視して暴走した家来たちの集団のような現代社会や地球人類になり果てているようです。その結果、環境破壊がおき温暖化した暑すぎる夏に倒れる人が多発、癌になる方も二人に一人、海はプラスチックゴミで汚染され生き物が死に、今コロナウィルスとの戦いに途方にくれて疲れ果てている日々です。

それでもなお、経済活動に軸足を置かねば、社会も個人も生活できないという止めることもできない自転車操業のような矛盾のなか、これまで築きあげたはずの社会や経済の秩序や価値が、今音を立てて崩れていく様を、どうしようもなく呆然と見ている人類です。

 

今、真理を学び、真理に則って「霊主体従」の生き方に戻る時

ただ、理論的に真理を知っても何も変わらず、やはり経済活動が必要となって現状にもどるだけです。

真理を身体で感じ真理の中に飛び込み、真理を実践する事こそが必要なのです。

そのためには、ただ祈ること、とてもシンプルです。

「ありがとうございます」の「あ」「り」「が」・・・・と一音一音が全て真理の光で本心のエネルギー(波動)そのものなのです。「ありがとうございます」を一回でも1分でも多く唱えつづけることで、自身の主人である「霊」が生き生きと現れ出でるのです。そして「体」はその実現の為の大切な道具として喜び、元気に働きます。

 

唯一、それがコロナウィルス拡散問題を医療という枝葉の枠組みを大きく超えて解決し、一人一人が絶対平和、無限健康、無限の自由、無条件の幸せな人生を実現してゆく唯一絶対の方法です。

そして自分も縁者もみんなが無条件の幸せの中でくらしてゆくことになるのです。