2019年7月号 あきらめないという生き方

あきらめないという生き方

雨にも負けず、風にも負けず 雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち

欲はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている

一日に、玄米4号と、味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを 自分を勘定に入れずに 良く見聞きし 分かり そして忘れず

野原の松の林の影の小さな茅葺き小屋にいて

東に病気の子供あれば 行って 看病してやり

西に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い

南に死にそうな人あれば 行って 怖がらなくていいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い

日照りの時は 涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにデクノボーと呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず

そういうものに わたしはなりたい

 

宮沢賢治のこの詩は、賢治がなくなってから、彼の手帳に記されていたのを弟が発見したもの、ということは、賢治の目指していたのは、悟りの心境、愛に生きることなのですね。

私も同様にそういう心境を生きたいと願い、時々この詩を暗唱しています。

そう願っているのも関わらず、私の現在の心境は、「雨にも風にも弱く、雪や夏の暑さには閉口し、すぐ欲が顔をだし、時に怒る。あらゆることを自分中心に考え・・・褒められたいと願い・・・」といった情けない状態です。

 

自己否定はしない

しかし、今、私は確かに賢治と同じ、「愛に生きること」を目指している、うそではないのです。ところが、まったく同時に、肉体人間であり感情中心に生きようとする私が、「楽を求め、欲を満たそうとし、人に認められよう」という方向に、強烈に動き出してしまうのです。

こんなどうしようもない自分ですが、私は自分を否定しません。

 

負けそうになる時こそが本当の自分に戻るチャンス

肉体を持っている以上、欲は出てきます。しかし 感情の自分に選ぶ権利を奪われず、「自分を勘定に入れず他を支え、他を幸せにする生き方」を選ぶことは、可能です。時として我の方が勝ち、選んだはずの目標が消えかかっていることに気づきます。そういう時こそ、チャンスです。まだ本気で選びきれてなかったとわかるから、「本気になって何をえらぶのか」を真剣に選び直す大切なチャンスです。

私はまだ、新米求道者なので、感情の自分が、完全に消え去っていないだけのことです。選択権をめぐっての激しい戦いの中に居ます。ここが、大きな勝負どころ!時に負けそうになる。しかし決して負けない、本当の自分に戻る為に生まれてきたのに、本当の自分、愛の自分が負けるわけにはいかないのです。

 

言葉の力は偉大!「ありがとうございます」は想像を絶する大きな言葉です

そんな時には、「私は愛に生きます。ありがとうございます」」と言葉を立て、言葉にすがります。私の使う言葉は自由に選べる、そして大きな力、絶対力を持っていると知っているからです。

決して、肉体人間、感情の自分に屈することはない、これは私の唯一絶対の自信です。本当の自分に戻り、無条件の幸せを目指すことは簡単ではないけど、とてもシンプル、ただあきらめないことです。