2018年9月号 とうとう愛に生きる時がきた

とうとう愛に生きる時がきた

権力の流用やパワハラなどの事件が、連日マスコミを賑わしています。
対岸の火事を見るように、面白おかしく、彼らを批判するだけでよいのでしょうか?
人間は、本音では欲しているけれど自分が我慢をしたり、理性で抑えていることを、平気でやっている相手を見た時に、非常に腹を立てたり、強く非難します。
自分が欲している物や目標を、群を抜いてレベルが高いと認めている人が、手に入れていたら、崇拝や敬意をいだきます。しかし、自分と同レベルか、下だと思っている人が、自分には達成できない目標を、手に入れていると、嫉妬して相手を認めたくない感情が湧くことが、多いのです。

これは実は、プライドが邪魔しているから、嫉妬するのです。

あなた自身には、そういう嫉妬心や怒りやプライドは、一切ないといいきれるでしょうか?
実は、パワハラやいじめの根源には、こういった怒りや嫉妬やプライドが存在しています。加えて、ストレスが、人をそういう行動に駆り立てるのです。

プライドの正体

プライドとは、自分は立派な人間、生きるに値する存在だと思いたい、また、他人に認められ愛されたい、バカにされたくない、認められたい等の意識であり、悟っていない限り、誰もが持っている根源的な感情であり欲望です。
プライドは、プラスに働くとやる気や目標意識として発揮するし、マイナスに現れると、嫉妬や競争心、また自己否定や威張りの感情となって、自分を押しつぶしてゆく厄介なものなのです。
おしゃれをして外出するのは、プライドです。もし他人の為だけに、気を使って身だしなみを整えるのであれば、それは愛ですが、ほんの少しでも人目や世間を意識してのおしゃれや身だしなみであれば、それはプライドです。
誰かに、何かに、対する潜在的な怒りや嫉妬やプライドは、権力を使ってのパワハラやいじめに発展してゆくのです。それらは、多くの人の場合トラウマという心の傷になっているケースもあります。例えば、自分が親や姑にいじめを受けた心の傷があると、又嫁や子供をいじめてしまう、などです。

もしあなたが誰かに対するいじめや威圧の感情を、理性で抑えて行動にはしていなくても、心の中で感じていれば、テレビで騒がれている彼らを非難する資格は無いし、もし彼らに強い批判や怒りを感じるなら、なおさらです。

パワハラ問題の真なる原因      

例え、自分の本音を抑えて、人としてあるべき良き行動をとっていたとしても、人間として立派ではあるが、実は同じ罪をおかしているのです。
なぜなら、行動には出していなくとも、あなたの感情は間違いなくマイナスの波動を発して、自分の運命を落としているだけではなく、同じマイナス波動を持った人と同調し、人数倍の相乗効果で、社会全体に大きなマイナスエネルギーを生み出し、一連のゆがんだ社会問題をつくっている真の原因に、加担していることになるのです。
今の社会に蔓延している個々人のゆがんだプライドの総結集が、パワハラ問題を生み出しているのです。

祈りによりゆがんだプライドを、愛に変える時が来た

ではどうすれば、そんなマイナスと無縁でいつも、無条件に幸せで安らいでいられるのでしょう。
それは、こういうニュースに触れた時、繰り返し現実をしっかり見てしまうと、マイナスを掴んで心に貯まり、消えにくくなります。だから、すばやく意識を変え、ありがとうチャンスとして、自分の心の奥のマイナスを取っていただく為に示された、自身の鏡なんだと受け取り、すぐに祈りに入ることです。早い方がいいのです。
こういう事件が多発する今、プライドと競争意識を捨て、愛によって生きることを始める時が来ているのです。

「ありがとうございます」は、プライドも全てのマイナスをも、愛に変える言霊です。