2018年1月号 競争と比較から支え愛の社会に
競争と比較から支え愛の社会に
あけましておめでとうございます。今年もご縁深くよろしくお願いします。
今年の成人式に、多くの新成人が、経営不振の結果逃げてしまった会社に多額のお金を払い込み、着物や着付けの予約をしていたため、着物も着られず振り込んだお金も返ってこないという、とてもひどい事件に巻き込まれ、本当にお気の毒な思いをされました。一生に一度の晴れの日に、いかに悔しい想いをされたかと、思います。
もちろん、こんな詐欺まがいの会社の秘境極まりない経営者は、最悪です。
人との比較や競争心をもとに何を選ぶのか
しかし、成人式に立派なお衣装をお召しになられた若者達に対して、私はどうにも、さみしい想いがよぎるのです。20万、30万どころか人によっては50万~100万ものお金をかけるのが、成人式というものなのだろうか、という疑問がわいてしまうのです。
一生に一度の日に晴れ着という意味は、理解できても、限度を超えているのではないでしょうか?
何を基準に、どんな目的をもって、晴れ着を選ぶのか、それは、「人と比べて見劣りしないよう」、「人と同じでいたい」、「人より美しい自分でありたい」というプライド、つまり、比較と競争心が基準となり目的となっているように感じるのです。だとしたら、未来の日本を背負ってたってくださる若者の文化は、競争原理に基づく社会となるのではないか、と危惧するのは私だけでしょうか?
他方、私は、すばらしい直観力や平和な心を持っている若者が、たくさん存在していることも感じています
比較や競争心の基はプライド
私自身も、自分の姿が、人にどう思われ、どう映るなのかは、気になります。だれもが、とても気にするのではないでしょうか?プライドとは人間として一番捨てにくいからです。
プライドを捨てるというのは、とても大きな愛と自信が必要です。だから若者たちが、晴れの日の自分の姿に、プライドをもって、一目を気にするのは当然で、責めるべきではないでしょう。
本来、成人式ってどういう意味があるのか?
成人になるということは、社会人として独り立ちし、良い社会をつくる為の貢献者となるということでもあります。良い社会とは、人々が支え合う、愛を基本とした社会です。しかし、競争や比較の社会の基本は戦いです。
戦いのエネルギーは、心も体もむしばんでゆきます。波動はどんどん落ちてゆき、運気が悪くなってゆくのです。
成人の日こそは、競争をやめて「人々を支える人になろう」という気持ちを新たにしていただきたい、と望むのは、私の身勝手な思いでしょうか?
支え愛に生きる為に
しかし若者に期待する前に、私自身が「支え愛に生きる」決意を新たにしたいと思います。ともすれば自分の都合で物事を進めてしまう私は、まだまだ愛のエネルギーをパワーアップさせたいのです。
愛の心を呼び覚ましパワーアップするには、感謝行の実践です。「ありがとうございます」とは最高最大の絶対愛の言霊です。そして愛を実践するにあたって、必要な能力や直観力、行動力など、必要な物事全てをもたらす絶対愛の言霊であり、絶対愛、又無限なる愛とは神そのものの事なのです。
私達人間は、本来絶対愛からうまれた無限なる愛そのものなのですから、そこに戻る為の言霊が祈り言葉であり、「ありがとうございます」は最高最大の祈りの言葉なのです。