2017年10月号 世界の平和の為に

絆

世界の平和の為に

 ノーベル平和賞が、核兵器廃絶国際キャンペーンICANに贈られました。ICANが大きく貢献し、国連で核兵器禁止条約が採択されたことが、評価されたのです。

20か国余りの国々がこの条約に署名し参加しましたが、核保有国は署名していません。非核保有国である日本は、世界唯一の被爆国で悲惨極まりない体験をしたはずなのに、この条約には署名していないのです。米の核の力の傘下の日本は、米の核が必要だというのです。

 

 核禁条約をめぐって、日本政府は「核兵器廃絶という目的は同じだが、アプローチが異なる」と不参加の立場をとってきた。同条約には核保有国が参加しておらず、非核保有国との間で溝を生じさせる原因になっているとの理由からだ

という理由を掲げているのです。今回もこの受賞に関して、日本政府は複雑な思いのようで、一切のコメントを出していません。

不参加の理由は、核保有国と非核保有国との間で溝を生じさせているから?

安倍首相は、長崎での被爆者との会談で核禁条約に不参加について問われた時も、こうコメントしました。

 あなたはこの理由、納得できるでしょうか?

 

誰もが安心して暮らせる世界平和を実現する為に、核をなくすことは、必須であり、とても急ぐ必要のある大問題です。このことは、誰もが認めることです。

その為には、唯一の被爆国の日本が、リーダーシップをとってでも、核のない世界に向けて前進していくべきなのではないでしょうか?

それとも、核戦争がおきようとも、自分の立場の損得勘定を優先すべきでしょうか?

北朝鮮に、もの申しているだけでよいのでしょうか?

 

核を持つ国が、「核を捨てろ」と迫る?

そもそも、核を持って良い国と持ってはいけない国の区別には、どんな理由があるのでしょうか?核を持つ国が、「自分達は核を持つけれど、君たちは捨てなさい」と北朝鮮を責めることが、説得力をもつのでしょうか?

 「僕も振り上げた手を降ろすから、君も手を降ろして!!そして仲良くしようね」と言うことが、仲良く楽しくする方法であるってことは、小学生でもわかる簡単な事ですね。本気で核の脅威を取り除きたければ、まず自国が核を放棄してから、核の廃棄を訴えるべきだと考えるのは、どこか間違っているのでしょうか?どの政治家も、この事に触れていないのが、とても不思議です。

 

損得勘定を放棄して、全体の為に働く・・・自分の問題

 しかし、そうはいっても、人間は、いざとなれば自分の立場を優先させてしまいます。欲と不安がなさせることです。まして、戦争勃発に関して、自分をどう守り抜くかは、死活問題です。

 私自身が、自分の損得に関わったことに対して、全体の幸せの為に行動できるのか、と問わなければ、この紙面に書いたこと自体が、私の本音と矛盾していることになります。

 

自分の損得を超え、全体の為に働くには、とても大きな勇気と無条件の愛と信頼が必要なのです

 その為に、愛と信頼の本源たる」言霊「ありがとうございます」を、しっかりと唱え、平和の総責任者として愛の為に動きたいと思います。それが自分自身が愛と平和を享受する唯一絶対の道でもあるのです。