2016年7月号 自由と本物の幸せ
自由と本物の幸せ
自由の無い所には、本物の幸せはありません。例え栄養豊かで最高に美味しく高価な料理であっても、無理やり口にねじ込まれたら、吐きだしたくなります。またどんなに素晴らしい仕事や立場でも、強制的に与えられたら辛いのです。
父親が大病院の院長で、子供の頃から英才教育を受け、東大医学部に現役合格した秀史君は、「自分は恵まれ幸せなのだ」と思っていました。しかし医学部の学びは、楽しくないし情熱も湧かない、しかし努力家の彼は奮起し、優秀な成績を卒業し、数年後父親の後をついで、院長に収まりました。休日に、高校時代に小遣いを貯めて手に入れた古いカメラを片手に、蝶や蜂や花々の写真をとりに出かけた時には、ワクワクと、生きている実感がわきます。しかし夕刻帰途につく頃には、その実感は消え去りいつもの日常に戻るのです。
彼は、「趣味だから楽しく、仕事はそう楽しいはずもないさ」と割り切り納得しているつもりでした。しかし彼が突然病気になったのです。仕事から長期離れた時、病気そのものは辛いはずが、肩から力が抜け、ほっとしている自分が確かに存在したのです。彼は病気になって、やっと自分の有り方を自由に選ぶ勇気が持てたのです。病気回復後、収入は激減したけど、新米のカメラマンとして活動を始め、毎日ワクワクと生きています。
自由があってこそ、楽しい人生
「楽しい」は「手伸(たの)し」で、自ら手を伸ばして自由に選び取ることが、「楽しい」ことなのですね。
しかし、私達は社会という大きな怪物に飲み込まれてしまって、完全に自由をなくしているようです。人間社会が作ったお金というシステムに縛られ、お金の為に働いている人が大半です。お金と引き換えに、自分の自由を売っているのでは、まるでお金の奴隷です。
世界全体でも、戦争の究極の真因は、ほとんどがお金です。
幼児は自由に、本当に欲しいものだけに手を伸ばします。だから心から、楽しんでいられるのです。ストレスもありません。
しかし、大人になるにつけて、お金やプライドその他の社会の法則に縛られてきます。プライドは、他人の目を意識するから生まれます。もし無人島でたった一人暮らしていたら、決してプライドの為に働いたり努力したりはしないのです。
自由で幸せな世界は実存、全ての人に与えられた権利
しかし全く自由自在に、本物を選び取り、その結果、楽しく喜んで、笑顔一杯で幸せに暮らす世界が、確かに現実に存在することが、はっきりとわかりました。
「ありがとうございます」と言う言霊は、自由で幸せの世界へ飛び立つ為の宇宙船なのです。
のさか れいこ