2011年 9月号 「ありがとうございます」の本当の意味
「ありがとうございます」の本当の意味
インディアンの祈り
私は、前々からインディアンの文化に興味と共感を感じています。
インディアンは、朝起きると目覚めた事に感謝をして一日を始め、太陽が昇ると感謝をささげ、「今日一日働ける事を感謝します」「今日も子供たちと出会えて感謝します」と祈ります。インディアンには感謝の儀式がたくさんありますが、生きることそのものが感謝であり祈りなのです。彼らはありとあらゆることを、喜びをもって受け止める習慣があるのです。アメリカの感謝祭、サンクス・ギビング・デイはもともとインディアンの風習から生まれたものだといわれています。
ところが、私達の暮らしはと言えば、蛇口をひねったら水が出て当たり前、スウィッチをオンすると電気がついてクーラーが動き、スーパーには切り身にした肉や魚が並んでいて当たり前です。「当たり前」が当たり前でなくなると不安や批判の渦です。災害でちょっと電力や水が足りなくなったら不安で一杯、働いたらお金を支給されて当たり前、少ないと感じると不満になり、自分の技術や学歴が不足していると感じると不安の自信喪失、不幸になりストレスとなります。うつ病や体調を壊してしまったりする人も続出です。
すでに与えられていることに気づく
良い本を読んだり講演を聞いて、心新たに「感謝して生きよう」と決意したつもりでも、現実に戻ればいつの間にか不安感やいら立ちに変わってしまいます。社会という怪物は、私達の心を食べてしまうようです。飲み込まれると自由に生きる事が出来なくなり、社会の奴隷、そしてお金やプライドの奴隷になって、一番大切なものを無くしてしまいます。考える間もなくせかせかと目の前の生活に追いやられて、またいつの間にか、考え方や価値観も、自分らしさなんて全くなくなり、社会的成功を目指してひた走ってしまいます。また現代の文化や教育は、それがやる気のある正しい生き方だと迫ってくるのです。そんな中で多くの人々は七難八苦に見舞われ、もがいているうちますます社会にのみ込まれて自分を無くしてしまいます。
私達は「良いことをしてもらったり良いものをもらったら感謝する」と思ってきました。でも大自然はとっくに全てを与えてくれている。命と生きようとする生命力と水と食べ物、空気、そして資源。地球上のすべての生き物が十分に生きられるだけのものを、大自然は与えてくれているのですね。いま水や食料や資源が足りないのは、もっと便利にもっと贅沢にという文化を発達させた人間の欲の為に、資源は枯渇し地球が壊れかけているのです。
もう既に与えられている事に気づき、感謝で受け取り、生かしていただき、次なる命の為に働く事、それが真言としての「ありがとうございます」の示すものなのですね。そして「十分与えていただいて、喜び、幸せが一杯です」という意味です。だから言葉どおりに必要なチャンスや愛や食べ物も潤沢に入ってくる。つまり運がよくなり幸せになるのです。今無いから欲しがって「ありがとう」と唱えるとますます「無い」という事実をつかみ、無意識に言葉にしてしまいますから、ますます無くなります。幸せが一杯であることを実感させていただく目的で唱える「ありがとうございます」が一番良く効くのです。
のさかれいこ