2011年 5月号 「被災地にも春が来た」

被災地にも春が来た

 被災地にも瓦礫の中で桜が咲いたとのニュース、生きていれば必ず春がやってきて花に癒され、鳥のさえずりにほっとなごめるのですね。

 約30年前、当時夫は大きな挫折経験を受け止められず、荒れていて毎晩のように私に暴言暴力をふるっていました。その頃の私といえば、人一倍依存心が強くて愛情乞食のごとく夫に愛されることを頼りに生きていました。その頃の私は専業主婦でしたから、家事以外はやるべき事も日々の目標もない暮らしでした。そんな中「私に与えられた幸せは全て奪い去られた」という思いに心は打ち砕かれ沈み、私は抜け殻のような精神状態で、実家に帰る道中でした。阪急電車の中でつり革を握って立っていた時、電車が陸橋にさしかかったその瞬間、目の前に黄金色の夕日の光が目の前にボワーッと広がったのです。その光は私の心の中にもさしこみ、その瞬間私の心も明るく照らされました。次に「この美しい光も私から奪われる!?」という不安が走ったのです。そして次に「この光と幸福感は一生与えられ続ける」ということに気づきました。そしてまた次に「健康な体がある、健康な子供たちがいる、助けてくれる親もいる、おしゃれを楽しむ事もできる。ある、ある、ある、いっぱいある。幸せはあるものを数える能力なんだ」と気づき、それからというもの私は一歩一歩幸せに向かって歩み始めたのです。

 そう私達が拒否しない限り、幸せに必要なものは与えられ続ける―これが大自然の法則です。感動する心と感謝する心があれば、いつでもどこにいてもどんな環境でも幸せは受け取れるのですね。多くの東北の方々が、全てを無くした今だからこそ、与えられるありがたさを一つ一つ噛みしめて暮らしていらっしゃるのだと思います。

 生きるのに必要なもの―水、空気、食べ物は大自然の中に満ち溢れています。野菜も魚も海藻も自然界では、一粒の種から無限の数の野菜や魚が生まれるシステムです。スーパーでお金で買う食糧は社会システムであり、人間が勝手につくりあげたもので、本当は大自然が無償で与え続けてくれます。

 また人は一人では幸せに生きられません。愛が必要です。愛はどうすれば手に入るのでしょう。愛が与えられなかったら愛がないと思うのは間違いです。実は愛は与えた時に発生するもので、求めると悲しみや苦しみ、嫉妬や焦りが生まれるのです。愛の本質は与えた時にしか生まれないものなのです。求めて得られるのは愛ではなく情です。情は感情そのもので、欲望を満たして一時的満足は得られても、人を本当の幸せにはしません。情と愛とを混同し情を求め始めると、不安感に取り込まれ、いつも人の顔色を見て過ごし、自信を無くし人に左右されたり、期待していた愛情がもらえないと怒り怨んで人生を台無しにしてしまうこともあります。

本物の愛は無償で与えた時に自分の心の中に生まれ、同時に相手の中にも伝わるのです。

今多くの方々が、懸命に東北地方の人々を助けようと働いていらっしゃいます。その時に一番多くの愛を受け取るのは、ボランティアをしていらっしゃる方なのです。そして彼らが受け取った分だけ被災者の方も愛を受け取って温まる事が出来るのです。

のさかれいこ