2014年6号 本当の自分は無限の愛・無限の幸せ

  心臓の働きは、全てつなぎ合わせると地球2周半もある長―い血管の隅々まで血を流しています。人間がやるとなると高圧ポンプが必要ですが、しかしそれでは血管が破裂してしまいます。末端部に血が流れないと肉が腐ってしまいますが、壊疽にもならず今も血は流れ続けているのです。焼き肉を胃に送り込むと、胃は早速、消化に必要な消化酵素をぴったりのブレンドと量で排出し完全に消化してくれます。呼吸も自分で努力している訳ではありません。

 これらの状態は、当たり前なので日常考えることもしません。しかしとても不思議でありがたいことです。人間わざでは不可能です。そう考えると、命の働きを司っているのは絶対者である神だと解ります。私達自身が神なのです。

 ここまでは動物にも植物にも与えられた命の働きですが、人間だけにあたえられた、運命を自由に選ぶための道具が言葉です。「例外なく言葉通りになる」という真理が厳然と働いているのです。

又人間だけが笑うことができます。自然に笑っても 意図して笑顔しても、脳波はβ波からα波に変わり、潜在能力や直感が働き、何事によらず効率良く運良くできるのです。また笑顔すると免疫力、自律神経のバランス、血流が全て良くなり、健康になります。実は人間だけができる呼吸法でも、笑顔と全く同じ事がおきるのです。

 

私達は自由自在に幸せを選べる

 「プラスの言葉」「笑顔」「呼吸法」この3つにより幸運な人生を、自由自在に選べるのは人間だけ。これもまた人間が人為で決められる事ではない、神という絶対の存在から与えられた大いなるギフトです。

 ところで「私達自身が神である」のに「神から与えられた」というのは、一体どういうことでしょう?

神を海に例えると我々は海のしずくです。海と海のしずくはもともと一つ、本来いつでも海に戻れるのですが、海のしずく、つまり神の周りに、人としての思考や感情や肉体が取り巻いていて、神なる存在を閉じ込めているので、その存在すらも見えない解らない。だから海のしずくは海に戻れないのです。

 

本物の幸せは、すでに存在していて出番を待っている

内なる神は絶対の愛でありギブの存在です。取り巻いている肉体や感情や思いは、幸せを求めて食欲、睡眠欲、愛情やお金の欲、出世をひたすら求め続けるテイクの存在で、神とは真反対です。欲望を握りしめ手放そうとしないので、ギブの存在の神は出られないのです。神が出現すると、欲望もテイクした物や愛も一瞬に消してしまいます。それでは人間に本来与えた本物の幸せの条件である自由を奪い取ってしまうから、邪魔をしないよう奥で出番を待っているのです。

つまり我々は、努力して幸せになるのではなく、本当はもうすでに最高に幸せなのです。

 神が表に出てくると、無限健康、無限の愛で、本物の幸せ、全知全能無限力の自分しか存在しません。そしてまわりに愛を与えた結果、回りに回って無限倍の愛が与え返される一大循環の中で暮らすことになるのです。 そうなると肉体人間としての幸せや喜び等、比較にならず意味がありません。

 「ありがとうございます」の言霊は欲望や思いをすっかり消しさり、本当の自分である神として生き、本物の幸せになる為の、誰でもすぐに使える超パワフルな魔法の呪文なのです。