2013年7月号 自由選択
幸せに絶対必要なことは自由であることです。
親に勉強を強要され、良い学校に入学して、一流の会社に入り、自分の考えもなく、ただ世間の風潮に流されて出世し、欲しい物を手に入れれば幸せになれるでしょうか?決して幸せにはなれないのです。一時的な快感は味わえても、心の奥に虚しさや欲求不満感が消えず、幸せにはなれません。自由意思でしっかりと選び取った生き方の中での成功であってこそ、充実感や幸せ感を味わえるのです。だから人の自由を奪うことは、一番の罪、親も子供の自由を大切にしましょう。
私達は言葉を自由に選べます。言葉には創造力があり、言葉通りの現実があらわれます。言葉を自由に選べることが、人間だけに与えられた自由なのです。
どんなに身体は拘束されている奴隷であっても、何を見てどう受け止めるかは、自由に選べるのです。「こんなに働かされては身体を壊す」と思うか、「しっかり働いてるからますます健康になれる」と思うかは自由です。そして思った通り、病気になるか健康かが分かれるのです。つまり思いが言葉になりますが、実は使う言葉によって言葉通りの思いを掴んでしまうのが人間です。
このように私達は置かれた立場の中で、言葉を自由選択することができるのです。目の前の現実だからといって、現実を見て現実を言葉にし、現実を前提として生きると、その現実は変わらず目の前に現れ続けます。「自分は○○病だ」と思い、「○○病なんだ」とくり返し言語化していたら、相変わらず○○病としての自分が現実化します。
68歳の日野陽子さんは、膝の骨が10年かけて変形していって痛みがだんだんひどくなり、とうとう歩けなくなりました。そこで彼女は感謝法をしようと思い、健康な所をさがしては「心臓が動いてありがとうございます」「胃が丈夫でありがとうございます」「ありがとうございます」と1日中くり返し唱え続けていました。3日後涙があふれてきて「確かに膝は痛いけれど、こんなにたくさんの健康が与えられていたのに、それに気づかず感謝もしなかった。申し訳ない。」と思ったのです。「悪い膝だけを意識して私は病気で辛いと思い続けてきた。もう十分健康だ。もうこのままで十分幸せ」と与えられていた幸せに気づくことができ、それからは、感謝の「ありがとうございます」を唱えていました。すると4日後には、レントゲン検査でも骨の変形は認められず、膝の痛みは消えてしまっていたのです。
目の前の現実を見ている限り、その現実は変わらず現れ続けますが、現実ではなく自分の理想をイメージし、理想の姿を言語化すれば、その理想が目の前に現れるのです。
しかし理想の姿を言語化する為、「現実を見ない、言わない」というのは「言うは易し。行うは難し」です。しかし「ありがとうございます」という言葉は最高理想の姿の自分、つまり完全完璧なる自分を呼び出す言葉、最高理想の本当の自分の名前なのです。だから、目の前の現実を無視して、ひたすら感謝行に励むと、奇跡も起きて現実が見事に変わるのです。常に「ありがとうございます」を自由意思で選択することが最高の人生を歩むことになるのです。 ありがとうございます。
のさかれいこ