2016年5月号 信用と信頼

信頼と信用は意味が全く違います。信用は、信用に値する根拠を必要とします。例えば、銀行でお金をかりるには、担保をいれるか、法人であれば業績表等を提示し、返済可能な根拠を示さないと貸してもらえません。つまり信用が必要です。

 しかし、信用しかできない人生は、とても貧しいものです。なぜならそこには本物の成長も、本物の愛もないからです。

 自分が判断できる範疇にあることしか信用できません。つまり自分を超えた世界は自分には見えないわからない世界なので信用できません。だから自分の世界をバージョンアップすることは出来ません。本物の成長、本物の幸せを得るためには、今いる世界を卒業して高い次元に引っ越すということです。より高い次元には、より大きな愛や信頼、安らぎのある大きなプラスの世界ですから、次元が上がるごとに人生の幸せは大きく本物になるのです。

 

その為には信頼が必要

信用と違って信頼は、根拠を必要とせず、ただ「ハイ!」と言って受け入れ信じ切ること、全託することです。自分よりぐんと次元の高い師を信頼することにより、師と波動を合わせることが出来、師の高い次元まで引き上げられることになり、その時、人生は根っこから変わり、大きく波動が上がって、全てが輝き運気が上がります。出会う人全てが波動の高く愛に満ち、人を支える力のある人です。

 さらに、そんな人々から学び、良い影響を受けて、愛と叡智に満ち溢れた自分に成長することになります。

 

信頼は愛

ありがとう通信に何度か書いた信頼、そして愛のお話を、もう一度お読みください。

 イギリス中の問題児が集まっているサマーヒルという学校の校長の二イル氏は生徒の事を「まるで小さな悪魔のようだった。世の中を呪い、破壊的でマナーも悪く、嘘はつくし、盗みも働く、あるいは癇癪持ちですぐキレる」と述べています。ところが入学して半年もたつと、子供たちは幸福で健康になり、悪いことは何もしなくなるのです。

その間、先生達は一切の注意や叱責をせず、全面的にありのままの姿を受容し、自由を与えます。盗癖のある子に対しては、それを矯正しようとはせず、時には校長であるニイル氏が盗みに付き合うこともあったり、破壊壁のある子と一緒に窓ガラスを割ったりするというから驚きます。

信頼は全てを変える大きな愛の力なのです。

 

「ありがとうございます」を信頼し全託すると無条件の幸せになる

誰に対して、何に対して「ハイ!」というのか、一番は本当の自分に対してですね。本当の自分とは、誰でしょう。それは絶対の愛、絶対の調和である神なる存在です。そしてその名前が「ありがとうございます」なのです。「ありがとうございます」の神様を信頼し全てを託した時、奇跡は起き、必要な物事、全てを与えつくして、護ってくださいます。

 なぜなのかは、今の私にはわかりません。「ありがとうございます」を信頼した受講生の皆さん、そして笑顔セラピストの皆には、たびたび奇跡も起き、与えられ守られているという厳然たる事実が、目の前で起きています。

信頼して「ありがとうございます」を唱えた時全ては変わり、無条件の幸せ一杯に暮らせるのです。

のさか れいこ