2015年4月号 プラトンの洞窟

赤い空

洞窟内に、子供の時からずっと頭も手足も縛られている囚人が、壁にむかって座らされています。

振り向くことを許されない彼らは、洞窟の外の世界、明るい太陽、さえずる小鳥、行き交う人々、木や花を見たことはありません。洞窟内に差し込む光が壁に作る影だけを見て過ごしている彼らにとって壁に映る影が全てであり、それが真実そのものだと思い込み、真実を知ることは一生できないのです。

解放された一人の囚人が壁の影絵の世界とは比べものにならない、美しく明るい外の世界を見て驚き、縛られている囚人達に外の世界のことを一生懸命伝えますが、気が狂った奴だとバカにされてしまうのです。

 

「仏」とは縛りがほどけること

さて、我々は真実を見ている?それとも真実ではなく、その影を見てそれが真実であると思い込み、錯覚の中に生きているのでしょうか?ギリシャ時代の哲学者のプラトンは、人間が見ている実体は例え話で言う洞窟の影であり、イデアと呼ぶ美しい世界が本質だといいます。

 釈迦やイエスは、錯覚の世界に縛られている我々に「目覚めよ」と諭しています。つまり幻影の縛りをほどく、つまり「ほどけ」=仏になることが、生まれてきた目的であると言っているのです。

 

今、悟る時

 どうも、環境問題やテロや戦争の絶えない危機的な状態の地球を救うのに、立派な政治家や平和運動に頼っても、解決は難しいようです。

唯一の方法は、みんなが真実に目覚めることではないでしょうか?

「悟る」というと、とっても特別なこと、難しいことのように感じます。しかし、本来の自分は、縛りなんてなく悟っているのです。今から努力して悟ろうとするから難しいし、非日常的な事だと感じるのであって、「本来の自分に戻って生き生き笑顔で暮らそう。皆で支え合って暮らそう。」ということで、それは無条件に幸せな生き方なのです。

 洞窟の囚人たちも、立ち位置を変えずとも、縛りを解いて、そのままただ振り返りさえすれば、生き生きと素晴らしい世界に生きることができるのです。

 囚人を縛っている縄、それが「我」という過去に身につけた考え方や思い込み、そこから発生する欲望なのです。その過去を取り除くと、縛りが解けるのです。

 しかし、現代人の思い込みは強く、99%以上の人々が信じ込んでいるので錯覚であるなどとなかなか思えません。自分が見て聞いて触って感じている実体なのですから、信じ込んでしまいます。また今更、「欲を持ってはダメ」と言われても、「お金が欲しい」「愛されたい」「皆に認められたい」などの欲を捨てることは、簡単とは言えません。逆にその欲を満たして幸せになりたいと、錯覚の上塗りをしている状況です。

 

「祈り」は心のお掃除 「祈りことば」はお掃除機

 実は人間だけができる行為「祈り」とは、その過去に身につけた縛りや錯覚を取り除く心のお掃除をすることで、祈り言葉とはお掃除機なのです。世界最高のお掃除機が「ありがとうございます」なのです。誰でもが、感謝行を正しく実践すれば、自然に心が清められ、喜びに満たされて無条件に幸せを感じるようになれるのです。これは絶対法則です。

 ありがとうございます。

のさか れいこ